Aug. 30 - Sep. 3, 2007 Yokohama Japan
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■Nippon2007プロモーションレポート

ワールドコン日本誘致委員会
[2004/06/24〜07/03、
Midwestcon55〜Westercon57]



・海外プロモーションの日本からの委員会メンバーは次の5名です
 → 井上博明、今岡正治、八谷祥一、増渕格、井上民恵
・なお、文中で一部敬称を略しています。執筆者は井上民恵です。


書き手の感性や公開当時の世情などを尊重し、以下の文章はその内容を改変せずに掲載しております。
そのため、一部に不適切な表現やリンク切れの可能性がございますが、あらかじめご了承ください。



6月24日

 午後3時30分成田着、出発時間は4時20分。
 いつも通りギリギリに搭乗しシカゴへ、国内線に乗り換えてオハイオ州シンシナティ着。現地時間は同日の午後7時すぎだ。
 ペギーさんのメール通り、シンシナティのファンの一人ビル・ケビン氏が空港まで迎えに来てくれていた。
 彼の大きなトヨタのバンは、まだ新車のようにピカピカだ。
 山のような荷物と、5人の日本人を詰め込んでいざ出発。
 途中、シンシナティのダウンタウンを通り抜け、Midwestconの会場、ダブルツリー・スイーツホテルまでは40分ほどの道のりだった。
 到着してから、荷ほどきもそこそこにコンスイートへ行くと、すでに私たちのエージェントであるペギーさんが年輩のファン達と談笑していらした。
 早速挨拶をして、ペギーさんからテーブルの面々を紹介して頂く。
 程なく、中庭に面したテラスからシカゴのファン、スミス氏も現れた。
 彼とも久しぶりの対面、「ようこそ、私たちの伝統的なコンベンションへ。プログラム無し、コンスイーツとディスカッションのみ」と歓迎してくれた。
 見回して見れば、参加者の平均年齢はかなり高そう。
 レジストレーション(受付)を済ませてから、車でペギーさんが持ってきて下さった荷物を井上部屋に運び込む。
 以前お預けしていたものに加えて、今回のパーティーにとペギーさんが用意して下さったこけしなど、こちらも結構な量の荷物である。
 お互いの荷物の確認の後、ホテルのレストランで食事となった。
 車でなければ、他に食事に行く事ができそうもないロケーションなので、これからこのレストランが私たちの唯一の食事場所となる。
 食事後、私たちは荷物の整理のために部屋へ引き上げ、今回(Midwestcon)使う分、Westerconで使う分、そしてボストン(Noreascon)までペギーさんに預かって頂く分を、分別して鞄に納めておく。
 明日の約束は9時に、コンスイート。
 時計を見れば午前1時を回っていた。


6月25日

 朝9時にコンスイートへ行くと真っ暗で誰もいない。仕方がないので日本組みはホテルのバフェで朝食を取る。
 朝食後、まだ、コンスイートは開いていないようなので、一旦部屋へ戻ることにした。
 私たちの部屋は1階で、中庭に面しており、中庭にあるプールを挟んで向かい側がコンスイートのあるボールルームだ。共にテラスがついているので、何となくコンスイートの様子がわかる。
 暫くして、開いた気配に気づいた頃、先に様子を見にいっていたらしい八谷から、ペギーさんもコンスイートにいると連絡があった。
 それではと、コンスイートに出かけることにする。
 Midwestconは本当に、ファンがリラックスをしておしゃべりを楽しもうというコンベンションらしく、メインはボールルームが2つのみ、一つがコンスイートで、もう一つはTシャツや本を売る4件ほどのディーラーズと小規模なアートショーに使用されている。
 夜になると、2階の大きなスイートルームがアルコール部屋になるそうだ。
 井上と八谷はディーラーズに出展しているTシャツ屋さんと、Nippon2007のTシャツを作ってもらう段取り話に行き、私はコンスイートで「Pite」さんというバッジネームの方とオセロゲームをすることにする。
 この人が強い強い。最初に角のひとつをハンデに貰っても勝率は2分の1。
 ハンデなしではとうてい歯が立たない。10戦くらいしたところで私はギブアップ。
 お昼を過ぎたあたりで、私たちが今年のワールドコンであるNoreascon用に送った広告について修正が必要だという話が出て、増渕がデータ入りのパソコンを持ってきてコンスイートで作業を始めた。
 ここには、Noreasconの広告責任者が来ているので、話が早い。
 結局、この日は終日コンスイートでゲームをしたり、話したり、作業したりと、英語がほとんど話せない私にとって、のんびりしているのだか、大変なんだか判らない一日となった。


6月26日

 ペギーさんの車で、この日の午後9時から開く私たちのパーティーの為の買い物に行く。
 メンバーは井上、私、増渕の3名。今岡は渡米前に悪くした肩が悪化して部屋でうなっているという。八谷に今岡のケアと外交を任せてスーパーへ。
 飲み物やクラッカー類はペギーさんがすでに仕入れてくださっているので、必要なのはお酒用の小さな紙カップと野菜や果物、お茶用の水などだ。
 買い物が終わったところで、サンドイッチ屋さんでペギーさんにお昼をご馳走して貰う。何故かここで蝉のCDを売っており、聞けば今年アメリカでは17年ゼミが大発生したので、その記念だそうだ。
 ホテルに戻ってから、コロンバスのコミッティと、Noreasconでのビッドパーティーの部屋についての打ち合わせをする。
 Noreasconでのビッドパーティーは、ホテルのボールルームを半分ずつ分け合って使うことになっている。
 いつもより広い空間を使わせてもらえる訳だが、客室であるスイートではない分、制約もいろいろとあるらしい。
 その後、ナオミ・フィッシャーさんのベビーシャワーパーティーに顔を出す。
 私たちはなにもお祝いを用意していなかったのだが、Westerconのオークション用に用意した七五三の着物をぜひ送りなさいというペギーさんの助言に従い、5歳の男の子用と7歳用の振り袖を持って行くことにする。
 ナオミさんは大いに喜んでくれたのだが、まだ子供がどちらか判らないという事で両方お渡しする。
 ファン達が沢山のお祝いの品を持って集まっており、素敵なパーティーであった。
 さて、次は私たちのビッドパーティーの用意だ。7時過ぎにはアメリカの友人達も来てくれてセットアップを手伝ってくれた。
 国際観光振興機構からは日本のポスターを、各出版社からは文庫カバーなどを頂いているので、それを壁に貼り、打ち掛けや、ペギーさんのこけし、小さな屏風なども飾り付ける。
 同時に食料品の用意もして行く。パーティーの献立はいつものちらし寿司の元を使ったお寿司に、日本のお菓子類、アメリカのスナック、そしてナオミさんから手作りのいなり寿司と餃子の差し入れもあった。
 午後9時にオープン。ワールドコンの時のようにドアの前で待っていて、どっと部屋に入ってくるということもなく、三々五々参加者がやってきた。
 ドアのところではスミスさんが私たちのシールを手にゲートキーパーをしてくれており、プレサポートの受付テーブルはペギーさんがどっしりと護ってくれている。
 私たちはともかく外交。日本のこと、横浜のこと、日本のSF事情、コミッティの話。
 大学で日本語を習っているという女子学生、日本に興味があると仰った83歳の女性、日本にいるときに出たばかりの「星雲」を10冊くらい買って、まだ持っているというご老人。
 120人規模の大会にしては、大勢の皆さんが私たちのパーティーに来てくれたと思う。真上の部屋では地元コロンバスのパーティーもやっていたのだから。


6月27日

 ペギーさんが午後1時頃にホテルを立つという事で、この日は少々遅めに起きてコンスイートへ。
 Piteさんに再挑戦しているとコミッティの一人が部屋の中央に立ち、部屋を空けなくてはいけないので荷物を2階のお酒部屋へ運んでくれと一声叫んだ。
 ゲームやお話をしていた人たちが、皆が立ち上がって荷物を運び始める。私たちももちろん移動に協力した。
 移動がすべて終わった頃、ペギーさんが出発するというのでお見送りに。
 ペギーさんはここから一人で車を運転してボルティモアまで帰るのだ。明日の夕方までしばしのお別れである。私たちの荷物を軽くするために、ペギーさんは大きなトランクを2つも引き受けてくれた。
 私は、その後昨日何度行っても使用中だったコインランドリーに洗濯に行ったのだが、一つしかない洗濯機に洗濯物を入れて洗剤も入れ、25セントコインを4枚押し込もうとするとコインが入らない。
 仕方がないので、洗濯機置き場に近い増渕、今岡部屋からフロントに電話をかけてもらった。
 しばらくの後、修理のお兄さんが現れてコンセントを抜き差しし、洗濯機を揺さぶり、無理矢理コインを押し込もうとした挙げ句に、ちょっとまてと言って消えてしまった。
 どうやら、コインが満杯になっていてこれ以上入らないらしいのだ。
 今度は背広を着た人が来て説明してくれたところによると、この洗濯機は外部の会社が管理していて、お金をいれる場所の鍵はその会社が管理しているとの事。
 この日は日曜だったのでその会社は休みなのだが、ホテルの従業員も一人だけ鍵をもっていて、今その人に連絡をとっているから30分ほど待ってくれということなのだ。
 洗濯物には下着も入っているし、仕方がないのでコンランドリーの前の椅子にこしかけて待つこと30分。だれも来ない。
 もう一度電話すると、実はその鍵を持っている人も今日は休みで、自宅から呼び出しているところなので、あともう1時間ほど部屋で待っていろと言うのだ。
 まあ、洗剤まみれの洗濯物を持っていくヤツもいないだろうという事で、自室にもどって待つことにした。
 シャワーを浴びて、荷造りをして、2時間近くが過ぎてもフロントからは連絡がない。
 しびれを切らした井上がフロントへ文句を言いに行った結果、ホテルのシーツなどを洗うランドリーマシンで洗ってくれることになった。
 結局、鍵を持っている人は来られないので明日まで待ってくれと言われたらしいのだが、翌朝7時にはホテルを出なくてはならないので明日までなんて待ってられない! と抗議した結果そうなったらしい。
 やれやれと一段落したところで、皆と夕食の約束をしていた時間になってしまっていた。
 なんだか疲れてしまって、私たちはルームサービスにするかなどと話していると、八谷から電話があり、シンシナティのコミッティが夕食に誘ってくれているというので急いで支度をして出かける。
 すでにシンシナティのファン達は出発しており、私たちの為にビル・ケビン氏が待っていてくれた。
 レストランに着くと、あちらのファンは総勢8人。
 電子辞書に頼りながらも会話も弾み、楽しいひとときとなった。
 お料理はシンシナティ風なのか、ちょっと変わったアメリカ料理でなかなかおいしいのだが、やはり量が多い。
 すっかり満腹してホテルに帰ると、黒いビニール袋にはいった洗濯物が部屋に置いてあった。やれやれ。
 中身を確認してからコンスイートに顔を出しに行くと、一緒に食事にいったメンバーのうち4名ほどがくつろいでいた。
 ビールを1本頂きながらおしゃべりをし、Noreasconで会いましょうと挨拶をして部屋にもどる。


6月28日

 今朝もトヨタのバンで空港まで送ってもらう。
 ペギーさんの口添えが有ったからだろうが、無償の親切が身にしみた。
 朝7時にホテルを出発、ラッシュに会うこともなく無事空港着。
 御礼に5合とっくりに入った日本酒をプレゼント。喜んでもらえたようでほっとする。
 ここからペギーさんの住むボルティモアまで、シカゴ乗り換えで向かうわけだ。到着はボルティモアの時間で夕方5時くらいだろうか。
 八谷はサンフランシスコで仕事があるので、シカゴで一旦お別れ。次に会うのはフェニックスの空港だ。
 ボルティモアの空港ではビルさんとトレイシーさんが迎えに来てくれていた。
 このビルさんはシンシナティのビルさんと違って小柄な方である。
 2人の車に分乗して、ペギーさんのお宅に向かう。
 ペギーさんのお宅は木々に囲まれた閑静な住宅街にあった。
 何れも広い庭のついた大きな家ばかりだ。
 ペギーさんと旦那様のジョンさんの出迎えを受けて、お宅にお邪魔すると、玄関の先にまず広いリビング。壁にはSFのハードカバーがびっしりと並び、ゆったりとした椅子が6客、部屋の中央近くに半円に置かれていて、天井の大きな天窓からは木漏れ日が差し込んでいる。
 「うさぎ小屋」に住む私たちはまずその広さに圧倒されてしまった。
 隣のダイニングも広々としており、そこには8人分の食器がセットされている。
 こちらも広いキッチンからはおいしそうなにおいがしていて、ペギーさんがオーブンの中を確認していた。
 今岡、増渕2名は一方の壁がペーパーバックで埋め尽くされている一階の客用寝室、私たち夫婦は階下のシャワールーム付の客間に案内され、荷物をほどくことになった。
 ペギーさんのお宅は坂に建っているのか、階下と言っても階段を下りてすぐは大きな窓の向こうに30畳ほどのウッドテラスがみえるリビングで、その隣が客間になっていた。
 落ち着いたところで、男性陣は1階のリビングでビルさんの手を借りながら、コンピューター通信の設定をはじめ、私とトレイシーさん、ペギーさんは夕食の支度にかかる。
 といっても、ローストポークとポテトはすでにオーブンの中でいい匂いがしているので、大量のトウモロコシの皮むきとデザートのメロンとチェリーのカットだけ。
 ほどなくディナータイムとなった。
 ジューシーなローストポークとほくほくのじゃがいも、ゆでたコーンにバターを好きなだけまぶして食べる夕飯は、渡米してから今までの中で一番おいしい食事だった。


6月29日

 男性陣はビルさん、トレイシーさんと一緒にスミソニアン博物館へ観光へでかける。
 私とペギーさんは、今夕ペギーさんがアレンジしてくれた、メリーランドのSFファンとのホームパーティーの為の準備である。
 ペギーさんが大量のチキンを買ってくれてあったので、メインはチキンの料理とすることにして、その他の材料を買い出しに行くことになった。
 韓国人経営のアジアン・マーケットで焼き鳥の為のネギ、今岡がお好み焼きを焼く予定なので、鰹節や青ノリ、お好みソースなどを仕入れる。
 アメリカの人にとって、中華材料、韓国の食品、日本の食品は見分けがつきにくいらしく、ペギーさんが興味をひいた物を指さしてこれは何処の物かと尋ねる事が何度もあった。
 最も陳列がごちゃ混ぜなので無理もないと思う。
 次にいかにもアメリカという感じのグローサリーストアーへ。高級食材を扱う場所らしく、お値段はお高め。ペギーさんがいつも利用している場所だそうだ。
 帰り際にペギーさんの息子さんのお宅に寄って、炊飯器をお借りした。
 帰宅して料理の下準備をしていると、スミソニアン組も帰ってきて、ポスターなどの飾り付けを始めた。
 飾り付けが終わった頃から、ゲストがぼちぼちと訪れはじめる。ペギーさんと親しい人ばかりのようで準備のお手伝いをしてくれていた。
 女性陣は、チーズフォンデュとチョコレートフォンデュの準備を大騒ぎでしている。
 この2つは、日本的ではないけれどアメリカ人はみんな好きなので、とペギーさんが決めたものだ。
 ペギーさんは、料理の本で見つけたハワイ風のチキン料理を仕上げ(醤油を使うのでちょっと和風なのかもしれない)、生野菜のサラダに私のおみやげのゴマドレッシングを添えていた。
 私はといえば、フライパンをお借りして鶏の唐揚げやオーブンで焼き鳥もどきを作るべく奮闘中。
 お借りした炊飯器でご飯も炊けたので、日本から持参したアナゴちらしの素を混ぜてちらし寿司も作る。
 あとは、ゴマ豆腐を切って盛りつけ、唐揚げをした残りの油でなすを素揚げしてレモン醤油につけた即席マリネで私のパートはおしまい。お好み焼きを作る関西人の今岡に場所を明け渡すことにする。
 ダイニングのテーブルの上には作った料理に加え、あられや小ぶりの饅頭、ペギーさんが買って置いてくれたポッキーやプリッツも並んでいる。
 気がつけば、ダイニングもリビングも、キッチンさえも沢山のゲストであふれていた。
 一度、宇宙軍のSF X'masに参加されたこともあるNASAの近藤博士や、米国政府で法律関係の仕事をしていて、日本語を勉強中だという方など、日本語、英語入り交じって沢山の方とお話することが出来た。
 しかし、紹介をされても数が多すぎてもう誰が誰やら。40人以上の人が来ていたのではないだろうか。
 日本食も好評で、ちらし寿司などは2回戦作ることになり、お好み焼きも焼き上がる度にすぐ無くなっていた。
 大勢いたゲスト達も午後8時半を過ぎると、潮が引くようにみな帰り始め、9時は最後のゲスト達も帰っていった。
 招かれる方も慣れているのだろう。何時までも長っ尻になる日本と違い見事なものだとちょっと感心。
 その日の内にあらかた片づけも終わることが出来た。


6月30日

 この日、男性陣はダレス空港の近くに出来た一番新しい博物館に行く予定で、ビルさんも迎えに来てくれたのだが、ペギーさんに預かって貰っている荷物や、今回持ち込んだ分を明日から行くフェニックスの分と9月のNoreasconに行く分、その他の地方コンで使って貰う分に荷物を分ける作業が思いの外時間がかかり、結局一日ペギーさんのお宅で過ごすこととなってしまった。
 荷物を分け終わった後は、UKのエージェントドチャティさんとペギーさんがリストアップした、問題点とこれからしなくては行けないことなどをじっくり時間をかけて話し合うことができた。
 この日もペギーさんの手料理をご馳走になり、翌朝早い飛行機で立つ為に予約したホテルへと送って頂いた。明日は朝の4時半起きだ。


7月1日

 5時半にホテルのロビー集合。前夜空港へのシャトルバスの予約が1名分しかとれなかったので、増渕にトランク2つ持って行ってもらうことにして、残り3人は呼んでもらったタクシーに荷物を積み込むことにする。と、バスに載ったはずの増渕が2個のトランクを引っ張りながらタクシーの方へ来るではないか。
 バスの発車ぎりぎりに行ったため、他の人の荷物が多くトランク2個は積めないと降ろされたという事だ。
 トランクが2つ増える分にはなんとかなるが、人間はもう乗れない。荷物だけ下ろして人間だけバスに乗せてくれるように交渉するため戻る間もなく、バスは走り去ってしまった。
 仕方がないので、今岡と増渕が2人でホテルのフロントに聞きに行った結果。乗れなかった人が他にもいたので今のバスが帰ってきた15分後、臨時便を出すとのこと。
 とりあえず2人はそれに載ることにして、私と井上はタクシーで一足先に空港へと向かった。
 空港で待つこと30分、2人と合流してチェックイン。今岡だけ航空会社が違うので別の窓口で受付。
 セキュリティチェックに行けたのは出発の45分ほど前だった。
 ところが、私がチェックのために振り分けられた列は厳重チェックの列らしく、10分たっても動かない。
 前の方には車椅子の方達もいるのでちょっと不安になる。
 私の乗る機の出発時間は午前7時7分。6時40分ごろ、私の出発時間を知った後ろの男性が、係員に聞いてくれたのだが、間に合うから待ってろと言われて終わってしまった。
 だが、列はのろのろと進むだけ。
 50分近くになって、3人くらい後ろの人が7時に出発なので交渉してくると、金属探知器のそばの係員に言いに行ったので、私も便乗してチケットを振り回しながら抗議したのだが、皆同じ問題を抱えているから、誰も特別扱いはしないと冷たく言われてしまった。
 列はすすまないし、これは間に合わないなと諦めた頃、井上から携帯に電話、あと3分で搭乗ゲートが閉じられると言う。
 そう言われても無理なものは無理。7時10分やっとゲートにたどり着いた時は、飛行機は影も形もなかった。
 ゲートで待っていてくれた井上とカウンターでチケットを取り替えると、シカゴ経由で行くはずだったフェニックスにデンバー経由で行くことになってしまった。
 到着時間は10分遅れ位ですみそうだ。今頃先に搭乗してしまった増渕が心配しているだろうが仕方がない。シカゴで待っていたりしなければいいが。
 乗り換えのデンバーの空港はやたら広かった。ターミナルは3つ、それぞれ90番まで番号のついた搭乗ゲートがある。乗り換えに時間があったのでお土産屋さんでショットグラスをゲット。
 増渕には申し訳ないが、初めての空港へ行けただけラッキーだったかもしれない。
 フェニックスではかなり先についていた今岡と増渕がバゲージクレームで待っていた。
 朝食が出たのは私たちの飛行機だけだったらしく、二人とも空腹だと言う。
 ペギーさんが来るまでまだ時間も有ることなので、2人に食事に行ってもらう。
 2人が食事から戻ってほどなくペギーさん、八谷も到着し、ホテルまでレンタカー2台に分譲してWesterconの会場であるWIGWAN RESORT & GOLF CLUBへ。
 広大な土地にコテージタイプの部屋が散在する大きなリゾート施設だ。
 私たちの泊まった棟は2階建ての建物で、企画などが行われるフロントやボールルームのある棟までは歩いて5分程度だった。
 まず、ペギーさんが申し込んでおいてくれた井上、私、八谷はレジストレーションをすませる。
 今岡、増渕は当日受付が明日からという事で、とりあえず会場を見て回る。
 受付前で出会ったゲストオブオナーのジョン・ハーツ氏は、わざわざ日本コミッティの為にプレゼントを用意してくれていた。
 サターンという名前の平たい桃を、今回のWestercon「Conkopelli」の名前にもなっているネイティブアメリカンの神様がついた靴下でつつんだ物だ。
 この日はカッシーニが土星の輪を撮影した日であり、日本人は贈り物を何かに包むのがしきたりなので、神様で包んだとのこと。
 皆有り難く頂戴する。
 ハーツさんはNippon2007の誘致活動のひとつ、俳句コンテストにも協力して下さっている、アメリカの有名なファンだ。
 ここで、連日の疲れからかちょっとグロッキーぎみの私と肩の調子が思わしくない今岡は部屋へ引き上げることにした。
 八谷、増渕両名は遅くまでホテルのバーで、アメリカのファン達との親交を深めていたらしい。


7月2日

 ボールルームの前に各地のビットテーブルが出ていて、私たちNippon2007の物もある。
 私たちの隣のテーブルは2006年に開催が決まったLAがテーブルを出しており、最初に私たちのUSエージェントを引き受けてくれていたエレインさんがいらした。
 柴野さんから預かっていた、旦那様のペルツさんの追悼文が載った宇宙塵をお渡しする。エレインさんは丁寧に本をご覧になった後、素晴らしい物を有り難うと御礼を言われた。
 交代でビッドテーブルに着いている間、ペギーさんがいらっしゃらない時など、言葉がうまく出来ない私たちをエレインさんが随分助けて下さった。
 午後、私と井上がアートショーを見ていると、ちょうど昨日桃をくれたハーツさんがアートショーに絵を展示している所だったので、ちょっとお手伝い。
 昨日の御礼という訳ではないが、アメリカの大会で知り合いの手伝いができるのも誘致活動を始めたおかげだ。
 夜は、私たちとパーティールームをシェアしてくれるという2006年のWesterconに立候補しているサンディエゴのコミッティの手伝いをすることになった。
 差し入れに、イチゴとブドウを持っていったのだが、なんとサンディエゴのコミッティも同じ物を用意していてお互いに笑ってしまった。
 飾り付けはもうほとんど終わってしまっていて、あとは食品を並べる程度。
 私は、すでに飾ってあるお花に、新たにお花を足す仕事を仰せつかってしまった。
 日本式のフラワーアレンジメント、つまり生け花をしろという事なのだが、結構無理がある。
 すでに白バラや、マーガレットが同じ高さでいくつものガラスのコップにさしてあるし、足す花ときたら花びらに金粉を振った、緑と黄色のマーガレットだ。それでも何とか形にして、あちらこちらに置くことにする。
 パーティーの会場は、ゴルフ場に面した3部屋が入った一階建ての建物で、それぞれの部屋がドアでつながる用になっている。その内の2つがパーティーに使用されている。
 サンディエゴのコミッティはここで寝泊まりしながら、パーティーもしているわけだ。
 場所が本部棟と離れているせいか、余り混み合うこともなく、私たちは日付の変わったところで引き上げることにした。


7月3日

 朝、ビットテーブルに行くために本部棟までてくてく歩いていったのだが、太陽が痛い。
 気がつくと両腕が結構日焼けしていた。大した距離じゃないと日焼け止めも塗らずに往復していたせいだ。
 砂漠の太陽をなめてはいけない。
 午前11時すぎに、今岡、井上、私の3人でパーティー用の食材の買い物に出かける。
 昨日の様子から、あまりたくさん仕入れても余るだろうと言うことで、野菜と果物を少々とソフトドリンクを買うにとどめる。
 準備は午後5時から、昨日のパーティーに使っていた部屋の内、大きい方を貸して貰い、和風の雰囲気に飾りかえるのだ。
 ペギーさんの知り合いが3人と、テキサスでアニメコンを主催している人が手伝いに来てくれた。
 打ち掛けや、ポスター、小さな凧、手ぬぐいなど、1時間半ほどで終わってしまい、お手伝いをして下さった方たちは引き上げて行った。午後9時から始まるから、今度は楽しみに来てねと皆で感謝する。
 八谷と今岡も、ペギーさんがアレンジしてくれたボランティア、2006年のWestercon決定の投票の開票に立ち会うために本部棟へと出かけていった。
 午後9時、さすがに土曜日なので昨日のサンディエゴのパーティーよりは人が多かった。
 この日、マスカレードが行われていたので、コスチュームを着た人も大勢いる。
 ワールドコンでは日本酒よりも梅酒が多く出るのだが、こちらでは日本酒の方が人気があり、いつも飲んでるアメリカ産の日本酒よりおいしいと、何度もお代わりをするカップルなどもいた。
 そのアメリカ産の日本酒も飲んでみたいものだ。
 今回は初めて、わらび餅を持っていったのだが、みな本体よりもきなこが気になるようで、何度も何から作ってあるのかと聞かれてしまった。
 私たちのパーティーは午前2時近くでクローズしたのだが、両隣のパーティーはまだまだ続くようだった。
 明日、この会場はウエスターコンを勝ち取ったサンディエゴがまたパーティーを開くので、きれいに片づけなくてはいけない。
 私たちの荷物がおおかた片づいたところで、ペギーさんはお部屋に帰ることになった。
 明日、私たちの出発が早いのでここでお別れの挨拶だ。
 沢山の有り難うを言い、ペギーさんの乗るカートを見送って、片づけ再開。
 借りた時に置いてあった物をほぼ元の場所に戻し終わり、パーティー部屋を閉めて宿泊棟にもどったのは、午前4時を回った頃だった。
 自分たちの荷造りをし、仮眠程度の睡眠をとって翌朝は7時に出発。
 LA経由で日本にたどり着いたのは月曜日の午後4時過ぎだった。





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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