|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Nippon2007 > 実行委員会からのメッセージ
実行委員会からのメッセージ●日本開催に至る経緯Nippon2007実行委員長 井上 博明 私が日本でワールドコンを開催しようと決意したのは、日本のSFを初期の頃から引っ張ってこられた作家の星新一氏が逝去されて間もなく、光瀬龍氏の訃報に接した時でした。 日本におけるSFの創生期を私達に語って下さる方々がおいでのうちに、日本のSFの歴史を何らかの形で後世にのこすべきではないか、そして出来れば世界に日本のSFを知って貰いたいという思いが突き上げてきたのです。 まず、師と仰ぐ野田昌宏氏に相談させて頂いたところ、「ぜひおやんなさい」というお言葉を頂き、勇気を得た私は柴野拓美氏にもご相談申し上げるべくお電話を差し上げました。 私が「ご相談したいことが」と一言申し上げると間髪入れず「ワールドコンの事ですか」とお返事されたのには正直びっくりしましたが、氏も日本でのワールドコン開催を待っておられたのか、と心に感じる物がありました。 それから、柴野氏のご指導により、米国SFファンの重鎮であるブルース・ペルツ、エレイン・ペルツ夫妻の協力を頂き、誘致活動は2000年にシカゴでのワールドコン「Chicon 2000」から始まりました。 誘致委員会のメンバーも皆初めてのことで、まさに手探りでの誘致活動スタートでした。 海外のSFファン達も最初は私たちが本気なのかどうかを探っているような状態でしたが、誘致活動を続けていくに従ってサジェスチョンをくれたり具体的な協力を申し出てくれるようになりました。 SFファンであるという、ただそれだけで無償で寄せられる善意は大きな驚きとともに大変な喜びでした。 もちろん国内でも、馴染みのないPre-supportingやFriendship*1などに、ためらいなく協力して下さった多くのファンの皆様の後押しが私達の力となりました。 誘致活動中にはブルース・ペルツさんの急逝により、北米エージェントをお願いしていたエレイン・ペルツさんが降板されるという大きなアクシデントが有りましたが、代わりにエージェントを引き受けて下さったペギー=レイ・サピエンザさんなど、多くの皆様のご協力によりなんとか乗り切ることができました。 2000年の立候補以降は、毎年のワールドコンでエキジビションホールにファンテーブル*2を出してのプロモーションや、日本を知ってもらうためのルームパーティーを行い、少しでもワールドコンのシステムを知るためにボランティアスタッフとしても活動しました。また、大物ファン達に顔を知って貰うために毎年のSMOFcon*3に出かけたり、ワールドコン以外の米国の地方コンベンションへも参加しました。 こうしてプロモーションをしてきた結果、2004年、ボストンで開催されたワールドコン「Noreascon Four」での投票で、日本開催を勝ち取ることが出来たのです。 開催決定後、英国のファンから握手と共に「ありがとう、君たちが立ってくれたおかげでワールドコンは本当のワールドコンになった」という言葉をかけられました。 この言葉に恥じぬように、そしてこれまで私達を支えてくれた国内外のSFファンの皆様に応えるためにも、私達はNippon2007を成功させるべく精一杯努力してまいります。 *1 Pre-supportingやFriendship:開催が決定する前から立候補地を応援するためにお金を支払うワールドコンでの仕組み。応援した誘致委員会が投票で負けてしまうと無効になる。 *2 ファンテーブル:翌年開催されるワールドコンや他の地方コンベンションの受付、開催地として立候補している地区の委員会がプレサポートの受付やプロモーションするために出しているテーブルの事。 *3 SMOFcon:ワールドコンを開催する側の人たちが集まって行うコンベンション。“SMOF”はSecret Masters Of Fandomの略。もちろん「しゃれ」だがワールドコンでの顔役が集まって運営方法などを議論する。 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
© Nippon2007 - 特定非営利活動法人 SF国際交流会 (JASFIC) |